済的に姑より恵ま

彼女たちは、昔の世代であり、時代の最後方を歩いていた。
自分たちが置かれている状況や立場を俯瞰的に見ることは決してなく、半径10キロの生活圏で生きていた。
それはある意味、幸せなことだったBB無便便
姑は、姑の姉を常に羨ましく思っていた。
結婚するまでは同じ環境に育ったのに、結婚後は姑の姉は経済的に姑より恵まれていた。
当たり前のことなのに、羨ましがる姑をわたしは理解出来なかった。
自分の力ではないところの面なので、努力しても当然、及ばない。
だが、経済的背景だけでなく、頭脳面でも姑は、姑の姉にコンプレックスを抱いていた。
同じ環境、同じ両親から生まれても、結婚後はお互いの道に分かれた。

わたしの目には近くに住む仲良し姉妹に映った。
ほぼほぼ似たような生活環境である。
二人は別に仲が悪いわけではなく、姉妹は同じ時代を生きていた玻尿酸精華
戦中派の二人は古い価値観を持ち、皆んな周りは同じ価値観だったため、自分たちの価値観を疑ったり、見直したりする機会はなかった。
見方を変えると、幸福である。

だが、女性の地位が低い、男尊女卑の家庭を当たり前と受け取っていた。
なんの疑問も抱いていないように思えたが、諦観か?
時代と地域と家風からだろう。

姑は、女性が結婚して子供を産むのは当たり前で、子供が出来ない夫婦は、わざと意図して作らないと思い込んでいた。
無神経な発言も、なんの罪の意識もなくあっけらかんてして明るくずけずけ口にする。
無知の恐ろしさを嫌というほど見せつけられた。

結婚した翌月から「子供は?」と聞かれた。
2か月目にも、3か月目にも、毎月、聞かれた。
4か月目にやっと懐妊、結婚して1年1か月後に長女が生まれ、ほっとした。
たった3か月の間だったが、わたしは女性として苦しんだ。
わたしよりうんと良くない、どんな(酷い)女性であろうが、子供が出来る人は評価される如何瘦面
出来ないと針のむしろ。
なんのために、今まで積み重ねてきた人生だったのだろうと思った。
わたしは子供を産む道具なのか?