近は相手にされなくな

今日は暖かい。
にもかかわらず、もこもこダウン重ね。
流石にコート下のダウンベストを脱いだ。
日中の気温15度って知ってたのに、もこもこで出かけたわたし加拿大留學移民
暑いのは脱げばいいけど、寒いと困るから。
そういって無駄に荷物を増やす。
「デキるおんなは荷物が少ない」と、長女によく言われていたが、最近は相手にされなくなったようで、何も言われない。

さて。
今週は涙週間だった。
おそらく涙袋が溜まっているのに上手く行かず停滞したままだったのだろう。
ちょっとしたキッカケで、出るわ出るわ、次から次へと堰を切ったように涙が流れる。
中には、どう考えても涙、因果関係ないのでは?といものもある。
涙の大バーゲンセール。
ついでに便乗!のような涙もある。

で、今朝も涙を流した。
もはや何が原因だったか忘れたぐらい。
肉親のことだったか?
最後のお風呂の水を抜く時、浴槽の汚れやアカを綺麗に流し落とすかのよう中一派位
なんだか知らないが、なにしろ大安売りのわたしの涙である。
次は綺麗な新しいお湯のお風呂に入れるかな?と、期待しよう。

中身のない涙の話がやたら長い。
今日は洗面所で歯磨きしたり髪を整えなが、尊厳について考えた。
生きる、死ぬ、の尊厳ではなく、人間の核について。
誇り、プライド。
メイクなどを含め、洗面所にいる時間は15分ぐらいなので、結論など出るわけもなく時間に追われたevent venue TST
こうやって毎日時間が滑っていき、大事なことを突き詰められない、、、わけではなく、突き詰めても仕方ない不毛な時間は使わないでね、という神様からの計らいなのではなかろうか。
究極は、無。

あ、今、ふと今朝、考えていたことが甦った。
わたしの人生の指針、羅針盤のようなものが天から(洗面所から)降りてきた。
信者はわたし一人なので、一人参加の会議の結果、一つの方向が見えた。
意義なし。
ただし、今回のところ。
今週の涙週間の顛末、結末はこれなのか、、、も知れないと複雑、神妙な気持ちになった。
「自分教」の神様(=自分)が信者の自分に降りてきた。
これを自発的に「気づきを得た」というのだろう。
わたしが科学者なら大発明、大発見につながるのだが、無名の一市民なので、普通ににっこり微笑んでおしまい。
映画なら明るい陽射しの空を見上げて輝く笑顔を見せるのだろうけれど。
あいにく洗面所なので、空は無し。

なんだかスッキリ。
気分爽快だ。