いのだと思うと胸を撫で

わたしの脳傾向は仕事に適していない、真逆。
リタイアした自分に、もうそんな能力や行動、責任は求められないのだと思うと胸を撫で下ろす會計軟件
仕事バリバリだった人は、逆にそんな張り合いのない生活は生き甲斐を失うことだろう。
魂が抜けた、どんより腐った目をしているかのごとく。
わたしは、全然そんな風には感じず、じつに楽しく何事もない毎日を平穏無事に生きている。
つつがないことこそ、喜び。
人によるのだろうか。個性の違いか。
年齢、置かれている状況、生活内容にもよるのだろう。

ちなみに、
宗教によって洗脳され、家庭が崩壊、家族を苦しめることがある。
本人は悪いことをしているとは思っていない。
家族は地獄の苦しみである中国资本市场
そもそも何もなく平和に楽しく生活している人には、宗教を強くすがりつくほど頼りにはしない。
不幸がある人が、その隙を埋めようとして深みにハマる。
例えば、安倍さん事件の犯人の母。
幼い子供たちを残し夫が自死したとか。
同情の余地はある。
みるみるうちにハマっていき、自分で考える力を奪われていく。
子供がこんな事件を起こした今でさえ、まだ洗脳は解けていないようだ。
本人も家族も、安倍さんの遺族も、日本中の全員を不幸にする。
誰が救われるというのか。
自分以外の人を全員不幸にして、母親本人は救われたのか。

人の気持ちは恐ろしい。
狂気は凶器となる加拿大技術移民