ログ記事がアップされ

わたし。
淡々黙々と好きなことだけを綴っている。
〆切や、お題ちょうだいも無し。
ああ、なんて楽で自由で開放的なの??、ではあるが、その一方で評価は無し755 脫毛
元々評価など皆目求めていないので、わたしの魂が救われたら目的は達成される。
そのついでに、お立ち寄りいただく方がおられたらもうそれで十分。
お釣りが来る。

ちなみに、、、
gooブログユーザー向けの「アピールチャンス」というものがあり、自薦のブログ記事がアップされる。
気分が向くと他のブログを拝読することがある。
全く今まで読んだことがない未知のブログで、興味を惹かれた記事があると、他の記事に遡って読んでみる。
その中に、80歳手前の主婦(未亡人のよう)の方のブログが目に止まった。
美しい言葉使い、室内の美しい設え、食器、ゴージャスなメニュー。
昔はこういうブログに度々お目にかかったことがあるが、最近はとんとご無沙汰。
なぜだろう?

たぶん、、、
わたし自身、その理由を推測するには、、、
①興味がなくなった。
②家庭のゴージャスブログには頑張りを見せるための嘘っぽいものも含まれ、ブログのための豪華な生活という、本末転倒になることがある。
いちいち、写真を撮るのは手間もかかる。
主役は自分のつもりが、いつのまにか振り回されていることになる脫毛邊間好
そういう「ブログ第一主義」は、わたしは卒業した感がある。
③最近はブログは下火で流行遅れらしく、今一歩、活気がないように感じる。

まあ世間がどうであろうが、自分第一主義のわたしは、一向にお構い無しなのだが。

と、話しは脱線。
話を戻す。 
初めてお目にかかったブログに、興味を持った。

ぱらぱらとページをめくり、過去記事に遡ると、、、
かつて、ブロガーさん同士のトラブルがあったようだ。
こんな素晴らしいブログを書かれるブロガーさんなのに、いったいどんなトラブルがあったのだろうと、興味津々。
コメントを巡ってのトラブルだった。
しかもかなり深刻で長期に渡り尾を引くものだった。

わたしはかつての自分のブログのトラブルを思い出した。
あった、あった、そう言えばあったなあ、、、
コメントは恐ろしい。両刃を持つ。

しかも通りすがりの人ならまだしも、そうでない場合、、、。
暗闇、暗黒のホールに引っ張り込まれそうになった。
すごい負のエネルギー冰箱價格
世の中にはそういう人が潜んでいる。
たまたまブログで接する機会があり、わたしは震え上がった。
一目散に全速力で逃げた。
君子危うきに近寄らず。

気分だけが何故か下が

自分の気分を自分で調整出来なくなった。
あくまでも「気分」。
昔っから気分屋なのだが。
状況も周辺事情も全く同じなのに、何の原因もないのに、気分だけが何故か下がる。
「落ち込む」とまではいかない。
意味もなく、「ふさぐ」の一歩か(百歩か)手前。
これは、小さな小さな危険信号?
危険とまではいかない助聽器比較
以前は感じなかったのに、最近はほんの少し自覚する瞬間がある。
が、1時間以内には治っている。
これも、自然な老化なのか?
今後、益々、意味なくブルーにならないよう、自分に祈っている。

ほうれん草とか、人参とか、体に良い食べ物を積極的に摂取する?
薬のお世話になることはない、と強く思う。
そんなに大したブルーではないから。
小さな軽い頭痛のようなもの。
今まで感じたことがない、超ハッピー人間、楽天家なので、未知、未経験のことには不安なのだ三菱冰箱

とか言って、今日は意味もなく気分が良い。
別に何があるわけでもなく、こころは快晴。
それはそれで、良いことだ。
必要以上に盛り上がってお祭り騒ぎということはなく、ただなんとなく、気分が良い。
病気なのかしらん?(ミニミニ躁鬱アップダウン)
お天気、日射状態や気温、湿度、雨、風、、、などに影響を受ける、、、ヘアスタイルのようだ。
微妙すぎて、話にならない。
もちろん、ブログネタにもならない。
でも書いている。
変わりゆくかも知れない自分が不安なのだろう。
こんなに楽天家で、ノーテンキのわたしなのに、こころの調子を自分でコントロールは出来ないようだ。
体調の良し悪しは、理由がわかる。
例えば、前夜、飲み過ぎると身体がだるい。倦怠感や疲労感に襲われる牙齒美白
二日酔いという、世の中によくよくある、自分が原因のもの。
滅多に飲まないし、飲んでも少しだから、あまり二日酔いにはならないが。

かなか言い出せな

さて、と。
寡黙な個性的キャラの長男は今朝、家を後にし、午前の飛行機で帰った。
息子と、昨夜からお泊まりの孫たち(小学生男児組)と、帰り際に玄関で記念写真。
次女と新生児も一緒に、ハイ、チーズ!
若い世代の一家、まるで5人家族のよう。
パパママ、小学生男児2人、新生児女児。
実は、パパとママは兄妹で、子どもたちはいとこの、寄せ集めチーム。
5人家族は収まりが良いので、なんだか一家族のような、まとまり感。

その写真は、一足先に自分の家に夫と下2人(保育所女の子組)を連れて帰った長女からのLINEでの要請。
で、写真に撮って後から見たら、息子の目が笑っていた激光 黑眼圈
なんだか救われた。
ああ、良かった。

今朝、これで最後と、やっと夫が息子に切り出した。
言いたいこと、聞きたいこと、話したいことがあっても、なかなか言い出せない夫。
自分の仕事上の進路について、将来の計画のため、息子の意向を確認した。
「最終だけど」と念押し。
だが、自分の期待した答えは得られず落胆していた。
わたしや次女が、息子側の意見に同意を示すと、「俺の周りは全員、敵や」と、しょげかえっていた皮秒激光邊間好

「意見が違うのは別に敵ではないよ。
クロかシロか、0か100か、そうハッキリ判定しなくても良いのでは」
と、わたしの意見を言った。
何ごとも強制は良くない、と、次女も言っていた。
孤軍奮闘している、寂しい気分を味わっているような夫。
妥協案とか、一気にではなく徐々に移行していく案もあるのに、なぜ、あんなに結論を急ぐのだろう。
試行錯誤という方法もある。
道が整備されて自分の意見はいつも通るか、あるいは、意見が全くない夫。
今までの歩みが影響している。

わたしは最初から、ある見通し、予測をしている。
でも言い表さない。
対策も取らない。
時が来れば事態は動くと思っている。
ジタバタしなくても自然に道は絞られてくる。
ぱぁっと拓けるのか、萎むのか、閉まるのか。
それだけの違い。
もうわたしの年齢になると、右肩上がりは無理はわかりきっている。
なだらかに終わりに向かって店じまいする方向。
夫はまだ若いというか、見切りがつかない、というか、往生際が悪い。
黄昏から夜に向かう心準備ができていない。
いつまでも、自分の思いにしがみついていては、前にも後ろにも行けない。
とりあえずは、絡まった糸を解いて、冷静によ?く考えてみる。
自分の思い通りにならないからといって、いつまでも執着するのは良くない產後妊娠紋

とかなんとか、言うは易し、行うは難し。
なかなか、そうカンタンには行かない。

は何重に重なって

柿のシーズン。
あちらこちらから、たくさんいただく。
お裾分けというか、箱ごと知り合いにそのまま送る。
うちが購入して既に送った人もいて、その人にはもう送れないが、息子には何重に重なっても送る。
夫の息子に対するラブコールはなかなか涙ぐましい。
冷たくされても、なお。
父子ってそんなものなんだろうか。
わたしは、いたって温度が低い。
離れたがっているものを無理矢理、囲い込もうなんて、さらさら1ミリも1μも思わない。
すがりつきは、みっともない。
高圧的は最も嫌。

兄も母にひどい(過保護、過干渉)仕打ちを受けて可哀想だ。
本心から気の毒に思う。
あと少しで、重石が取れるはずだから、兄よ頑張れ!
だが、母と兄、どちらが長生きしそうかというと、、、、歳の順とは限らない。
兄は生きているうちに、重石が取れた清々しさを満喫することが出来ないかも知れない。

兄もわたしも時代が時代なら、ドロップアウトしていると想像する。
たまたま学費が払える経済力のある家庭に生まれ育ったため、どうにかなった。
わたしは、かまいたち(お笑い芸人)のア○ーバTV番組風に言うと、女ヒモ。
家庭にお金を入れず、住宅費、生活費などを浮かして、好きなことをして遊んでいる。
(だが、配偶者がいると、とりあえず、ヒモの肩書は外れる)
親の資産や遺産を食い潰す場合も、穀潰し?みたいな感じになるのか?
事業に失敗した場合は?

そもそも穀潰しって?
「ごくつぶし」と読む。
ものすごいモラハラパワハラ用語。
説明なりなんなりを読めば読むほど、気が滅入ってきた。
穀潰しって、わたしのことなんじゃない?
自己否定は鬱に突入する危険性を孕んでいる、、、ので、自己否定しない方向に自分で舵を切る。

消滅するか忘れ去っているこ

さてと。
年末年始はなかなか楽しく面白く疲れた。
ブログネタがいっぱい、随時次から次へとあふれてくる思いだったが、アタマの中でブログ入力していた。
なので、実際には何も作業はしていない。
未公開記事をたくさんアタマの中に貯めただけ。
まだ文章にはしていないが、文章化する前に自然消滅するか忘れ去っていることだろうHong kong apartment for rent

中でも、わたしのこころに残るエピソードがある。
次女Rが初めて子連れで訪れた、Rの夫の実家。
晦日の雪深い街。
生後5ヶ月の孫、初飛行機は、大丈夫だったかなと心配していたところ、
最初に送信されてきたのが、ベビー孫をソリに乗せて雪の中を引っ張っている写真。
なんと!まあ寒そうな。
大雪はその地では、ごく普通の光景のようだが、夏生まれ寒がりのわたしは、のけぞった宣傳單設計
息子といい、娘婿といい、寒い地方に縁があるようだ。

次女Rの夫の(母方の)祖母。
次女Rの夫の両親と同居しておられる。
そのおばあちゃんが、孫(次女Rの夫)の小さい頃の話をしてくれたそうだ。
孫は小さい頃、父親の転勤が多くて転校した学校で、ちょっとしたイジメにあっていた。
それをおばあちゃんが校長先生に、どうにかしてくれと直談判した武勇伝を熱く語る、、、
のだが、周り(おばあちゃんの娘、娘婿)の反応がどうも冷たい。
次女Rが不思議に思っていると、お姑さん(と言っても、シャンとした、わたしより若いモダンな方。おばあちゃんの娘)が、説明してくれたそうだ。
「おばあちゃんは、話を盛るのよ。
途中までは事実なんだけど、それからは創作。
学校になんか全然乗り込んでないの。行ったこともない。
真面目に聞いていたら、ダメよ」

次女Rは、それで皆んなの反応が冷たいわけがわかったという。

うーむ、これは近い将来、近未来、わたしにもありがちだ。あり得る。
話を盛る、、、。
演出に凝るあまり、創作を真実だと思い込む。
絶対にありそうだ。
しかも、近未来といっても遠くない数年後のほんの先。
今でもブログを書いていると演出に力を入れすぎるあまり、「※これは誇張表現です」と但し書き、説明書きを入れることがある。
この説明を入れず、自分が思い込んで創作を書いたらどうしよう。
今のところは、決して創作は書いていない。
(誤解を招くような表現はあるかも知れないが)
その時はブログ村カテゴリーを「エッセイ」から「小説」に鞍替えしなければならない。
とにかく今はまだ「エッセイ」に留まっている。

話を戻そう。
どこまで戻せばよい?
次女Rが話してくれた、おばあさんの話を聞いて、わたしは人ごとだとはちっとも思えなかった曼谷樓

ては最大の努力をする

わたしはエコ主義。
余計なエネルギーは極力使いたくない。
最小のエネルギーで、目標に近づけるよう、手抜きに関しては最大の努力をする。

お金で時間や労力、技術を買うこともあるが、生まれつきドケチ。
よほどのことがないとお金を使わない。
自己擁護すると、倹約家、節約家なのである。

ちなみに、わたしは、田舎育ちなので自然派でもある。
が、虫は苦手、大嫌い。
最近、1番の幸せを感じる瞬間は、猛暑なのに一瞬、自然の風が吹き、風を肌に感じる時收細毛孔
わあ〜と、理屈抜きで感激する。

わたしが幼い頃、過ごした田舎では祖母が季節毎に、暑さ寒さを凌ぐ工夫をしていた。
夏には打ち水、御簾、風の通り道に、涼しげな色柄の、のれん、、、。
(母は、夏の建具、調度品に交換)
子供の頃は祖母が我々きょうだい(孫)の世話をしてくれた。
井戸水をスイカと共に汲み上げる。
冷えたスイカだ!!
子供ごころに、わくわく。
土間の食堂でガブリかぶりつ肌肉痛 舒緩
夏野菜、キュウリ、茄子、トマトを畑から採ってきて食べさせてくれた。
が、子供のわたしは、またぁ〜と、げんなり。
とは言うものの、季節ごとの野菜を食べさせてもらったのが、今の健康な身体の基本を作っていると感じる。
ただし、野菜ばかりでうんざりしたけれど。
だが、そのなかで、祖母の作るコロッケは大好物だった。
それと茄子の素揚げも。
おばあちゃん、ありがとう。

明治25年生まれの小柄で無口な祖母だった。
大人しいが忍耐強く、芯は強い、明治の女性。
(嫁である母とは真逆。
強いところは同じだが)
88歳まで一人で田舎の家を守っていた。
祖母は「88歳になるまでは一人で頑張る」と言っていたが、その信念は貫いた。

わたしに長女が生まれてから7ヶ月後に、この世を去った。
小さいけれど、頑張り屋さんだっCT電腦掃描た。

まじ見られることもあ

ご近所さんに、「変わった服、着てますね?」と、決して褒められていない感ありありで、まじまじ見られることもある。
いったい、どこがよくて、どういうつもりで、どういう心境で、、、という、言外の感想が汲み取られるservice apartment月租
まあ、別に、ウケを狙っているのではないので、誰に何を言われようが(決して愉快ではないが)、人の反応のせいではなく、自分が嫌になれば着ない服も多々ある。

「いつもどこか変わった服を着ている」と母に言われる度に、自分をどこに持って行けばいいのか、自分をどう収めるといいのか、変わっているのが服なのか、自分自身なのか、身の置き所を見失い、少し溜め息が出る。

たかだか服でさえ、人と変わっていると、(母からだけでなく)あれこれ言われる。
服のように、はっきり外側から見えるものは、わかりやすい抽濕機推薦
これが、パーソナリティや、性質、能力、脳、思い、なんやらかんやらだと、複雑である。

人にあれこれ言われるのは、嫌い。
ほっといてちょうだい。
だから、おそらくわたしには友人がいないのだろう。
自分と遊ぶのが一番楽しい。

しかし、思うに、服装は人を現している。
上品で上質な服を着ないわたしは、上品で上質な人間ではないのだろうと、自己分析する空氣淨化抽濕機